ochaputのブログ

文系から新卒入社でIT企業に入ったエンジニアの卵。このブログでは主にIT開発にまつわるあれこれや、自分の好きな断捨離・片付けのこと、その他雑記をつらつら書いていきます。

自分が機能する場所、という考え方

仕事の適性、というのを何だかんだずっと考えている。

好きなことを仕事に、とか最近ではよく言われているけど、それだけでうまくいかない可能性があるのも確かで、どう選んだらうまく自分の満足いくような職業選択をできるんだろうなあと思う。

 

最近自分が納得したのは、ある人気ECサイトの社長のインタビューだった。

その人曰く、自分の今の仕事は、自分が「機能する」場所だということだった。

自分は経営者という立場にいるから機能できている、と。

なるほどぉ、と。

自分の能力を発揮できる場、とも言い換えられるのかなと思うが、

単純に「得意なこと」だけではない、自分の性質だったりモチベーションだったり、色々そういう自分の持っている性質がマッチして、アウトプットに自然に結びつくような仕事、立場のことなのだと思う。

そう考えると、自分も「好きなこと」という観点では何も選べずに迷ってしまう職業選択も、自分が「機能する」仕事、環境、という観点で見ると、今までの自分の経験から仮説を立てることができるし、自分が活躍できるイメージも少しつくような気がする。

 

とまあ、そんな、インタビューを読んで納得感があった、というお話でした〜

ではでは。

※インタビュー↓

https://agenda-note.com/career/detail/id=1484&pno=1

 

「ポイント」や「おまけ」に心を揺らされて判断したくないなぁと思った日のこと

今も昔も、商品を選んだ時についてくるおまけやポイント、ありますよね。

昔はポイントカードにスタンプ押してもらったりしていたけど、いまやアカウント一つ持ってたらコンビニでお菓子を買っても、光熱費を払っても、なにをやってもポイントがつく時代。

 

あれが、あんまり得意じゃないのです。

もちろん、100円のもの買っただけで1ポイントもらえて一円として使えるって、なかなかありがたいし結局使ってたりもするんですけど。

 

苦手なのには理由があって、

一つはどうしてもデータ吸い取られてる気がしてしまうこと。笑

もう一つは管理が面倒だなと感じてしまうこと。

最後の一つはポイントに心を揺らされて判断するのが嫌だなって感じてしまうことです。

 

1つ目は、まぁ以前アプリ開発のデータ分析チームにいたこともあって、ユーザの情報って、もちろん個人情報は別ですけど、データ自体は分析に使うくらいだからどこかに保存されてて、必要があれば取り出せたりとかするわけで、

自分が知らないところで自分の購買履歴が管理されてるの怖いなー、と感じてしまうのです。

今時もうこだわってると損するよ、っていう意見もあると思うんですけど、やっぱりなんか嫌だし怖いなと思ってしまう。

 

もう一つの管理が面倒、は言葉の通りで、何個もポイントカードとか持って歩くのが邪魔だし面倒だと感じてしまうタイプなので、特に店ごとにポイントカード発行しているやつとかは、「これはだいぶお得!」と思わない限り、面倒で作らないことが多いですね。

 

で、最後が本題。

ポイントに心を揺らされて判断するのが嫌なんですよね。

ポイントって、おまけなはずなのに、最近はポイント還元があまりに高い場合があったりするから、それに心を揺らされてしまう。

商品の良さ自体を一番にみるべきで、それに納得したらその価値の分のお金を払えばいいと思うんですけど、

自分の友達とかをみてると、いかに安く、いかにポイント還元のメリットが大きいかっていうことを天秤にかけてしまって、そこで悩むということが発生していて。

ポイントという新しい判断基準ができることで、自分の判断が揺らされてしまう、そこにかける時間や頭を使うコストがもったいないな、と思ってしまうのです。

 

もちろんそれが楽しい人もたくさんいて、ポイントうまく使ってやりくりされてる方とかもいるので、それが好きでできる人はいいと思うのですが、

私は、おまけであるポイントにあれこれ悩まされるのが嫌で、だから苦手です。

 

最近話題になってる某大手ECグループのポイント制度改悪とか、

そもそもポイントはおまけなのに、それが改悪されたことで自分自身が損したような気持ちになるのも嫌だなぁ、とか。

 

とか言いつつ、アカウントは持ってるし必要あればそこで買い物もするんですが。

それに心を揺らされて判断するのは嫌だなぁ、って思った、っていう話でした。笑

 

 

 

 

 

もはやノーコードの時代だった。。「作れる」ことが価値にならないと感じた日のこと。

エンジニアの卵をしているわけですが、最近ふとしたキッカケでサービスとか作るにあたって使えそうなツールを探していたのです。

 

そしたら表題のように思ったという話。

 

いやー、すごい。もうプログラミングとか要らないっすね!笑

っていうのは少し言い過ぎかもしれないけれど、このページとかみる限り、もうWebサイトもアプリも、少し勉強すれば簡単に作れそうな気がする。

 

tech-camp.in

 

以前WordPressは触ったことがあってWebサイトが簡単に作れるのは実感としてあったんだけど、もう2022年は(というかもっと前からたぶん)スマホアプリだってノーコードで作れるんだなあ〜って。

 

今までだったら、「エンジニアです」っていったらわーWebサイトとか作れるんだ、アプリとかも自分で作ってるの?すごーい!っていう感じ(偏見かもだけど)だったのに、いまやそんなことはふつーーの人でもひょひょいってできちゃうわけで。

 

まあ、やっぱり細かい部分の実装とか複雑な条件とか、キャパシティがどうとか、セキュリティ面がどうだとか、

アプリケーションのロジックの部分でアルゴリズム考えたり、より処理性能をあげるためにどうすればいいかとか、そういう部分ではエンジニアが頭を使って実装するのにとってかわることはできないのだろうけれど。

 

一方で、こういうノーコードツールで簡単に作成できてしまうようなレベルのアプリケーションであれば、もはやエンジニアいらないよね、っていう風になるなと個人的には思ってしまう。

今までお金を出して外部企業に委託してサイトやアプリを作っていた中小企業やスタートアップも、外部に頼まなくてもローコストでサイトやアプリを自作して試してみることができる。

 

そう考えると今後大事になってくるのって単純に「作れます」っていうだけじゃだめで、むしろ「作り方はわからない(これから勉強する)けど、こんな面白いことをやりたい、つくりたい」っていう方なのかなと。

 

よりクリエイティブなことを、って世の中的にも言われているけどそういうことなんだなーって、結構今回実感がわいた。

 

そんな中で、私のようなゴリゴリロジックを追求できない文系エンジニアは、苦手なロジックを考えることを頑張って克服するとかいうことよりも、

より活発に意見が出せるチーム作りとか顧客との関係作りとか、調整能力とかを磨くことにエネルギーを割いた方が良い気がしてきた。

 

そんなことを考えたのでした〜。

 

 

 

 

 

 

暇なんだけど何もできない日の心理

時間があるのに何もできない日

最近仕事に余裕があるのか、残業なしで定時ぴったりで帰れる。

帰れる、というか在宅ワークなので「終われる」の方が正しいのかもしれない。

とにかく、仕事が終わったらそれから寝るまでの間に数時間あるわけで、忙しい時期の余裕のなさと比較すると、かなり自由な時間があるということだ。

この時間をつかって、以前だったら資格試験の勉強をしていた。

時間を無駄にしない!というマインドのもとご飯を食べたらすぐに勉強をして、という日々を数ヶ月していた。

 

しかし今、私にはそのモチベーションがない!(どどんっ!)

 

なんでだろう、そういう気持ちが湧いてこないのだ。

原因の一つは、とりたかった資格をとることができたためモチベーションが上がらないこと。

そしてもう一つは、今なにを勉強したら将来のためになるのかがわからなくなってきたことだ。

 

1つ目の理由はわかりやすい。

2つ目の理由というのは、最近ここ数ヶ月で思うようになった。

 

エンジニアになって3年がすでに過ぎた。

なんとなく向いていないのかなーとは思っていたけれど、3年やって苦手意識がいまだに根強いとなると、ちょっとこの先この仕事やってけるのかなーというのは割と本気で考えるようになる。

 

そんな気持ちなのである、原因は。

このままIT技術者として技術を勉強しても意味あるのかなあ、、と。

なさけないなあ〜とは思うのだけれど、でも本当にそういう思いが強いのであれば、転職活動するなりなんなり動いたらいいと思うのだけれど。。

まだそこまで諦めきれてもいないんだよなぁ〜

 

ふっきれる、という言葉があるが、今の私にはそれが足りない。

うすーいモヤモヤをまとってるかんじ。

 

こんなどっちつかずの気持ちなので、時間はあるけどテレビドラマをみたりネットサーフィンしたり漫画を読んだりしてあっという間に寝る時間を迎えてしまうのである。

1か100かだけではない

こんなことをつらつらと書いてみたけれど、じゃあ、どうしたら良いのだろうか?

テレビを見ることも漫画を見ることも、別に悪ことじゃない。

そもそも罪悪感を持たない方がいいんじゃないか?というのも一つある。

ただ、それに自分が納得できないなら、やはり自分から能動的に何かする活動をしたいということなのだろう。

 

IT技術(仕事)の勉強以外でもいいじゃないか、という結論に落ち着いた。

 

仕事につながることが100%その後のためになって、それ以外は100%その後のためにはならないというわけでは全くないのだ。こう書いてみると当たり前だけど。

 

ブログを書くとか、ギターを練習してみるとか、興味のある分野の本を読んでみたりするのも、能動的な立派な活動だ。

 

そういう、仕事以外の何かしらの活動に興味があるならば、なにもIT技術の勉強だけを頑張らず、仕事後はそうした活動に時間を使えば良い。

 

この先、仕事どうしようとか転職した方がいいのかな、みたいな話はやっぱりあるのだけど、それとは無関係に、趣味とか自分のやってみたいことに時間を使うことにも罪悪感を持たないこと。

できるだけ能動的に動ける活動を、仕事の後にやってみること。

今の「暇なんだけど何もできない」気持ちは、「IT技術の勉強をしなきゃいけない」と思ってるから。だから、受け身な活動に逃げるように時間を使ってしまい「何もしなかったなあ」という悲しい気持ちになってしまう。

 

そうじゃなくて、「仕事のことは忘れて、これをやってみよう!」と、仕事以外のことにも目標を置いたり、スポットを当ててそれに能動的に取り組んでみたら、この気持ちも変わるのかもしれない。

 

そんなことに気づいた木曜日の夜でした。

ほな!

 

 

 

 

流行りってほんとに作られるんだな~と思ったひのこと。

2019年夏のはなし。

 

最近、乃木坂風の、フワッとした白めの、長めの丈の服を着ている女の子が多いなあ、と思う。

 

先日、イクスピアリに友人と二人で遊びにいってきた。イクスピアリというのは、東京ディズニーランドのすぐ近くに位置する、夢の国の続きのようなショッピングセンター的なものだ。

ディズニーの公式グッズとかも売ってたり、Earthとかみたいな洋服やさんやレストラン、成城石井なんかも入ってる。

 

ディズニーに全く興味がない私と友人だが、夏になると毎年、隣駅の葛西臨海公園に「海」という名の黒く濁った海水と砂浜を気晴らしに眺めにいく。その帰りに、隣駅の舞浜に降りたって、夢の国の空気だけ吸いにいくのである。

 

女子がここ一番のメイクをして、お洒落をして出かけるその場所に、私と友人は塩水をかぶったサンダルで乗り込むわけだが(イクスピアリからしたらいたって迷惑な客である)、そこで私は表題のごとく思ったのである。

 

考えても見てほしい。

たった4年、いや3年前。果たしてあの、中の透けそうなパステルカラーのロングスカートをこの場所で履いていた人はいただろうか?

あの、天女の羽衣のようなワンピース、スカートを。

 

まあ、数人、いてもおかしくはないだろう。

うむ、では私が今回イクスピアリに身をおいていた短い時間のあいだに、何人の天女とすれ違ったか。

 

少なく見積もって100人。

 

たぶんもっといたと思う。

驚きである。

いまさっき天女とすれ違ったと思ったら、また違う天女が。

皆、すごく可愛いと思う。オシャレだとも思うし。

ただ、その数の多さはすこし驚いた。

そのとき、「ああ、流行りってつくられるんだなー」と感じたのだ。TVで、雑誌で、ネットメディアで、ショップで。

 

これが流行りか、と。今まで田舎で学生時代謳歌していたからこんなにも世間の流行りというもんを感じたことがなかったよ、と。

 

流行りに乗っている人々を見て、彼らがおそらく自発的に情報を入手して自分で服を選んでコーディネートして、あの場所に着てきているという事実を感じ取って、

私は「流行りっていうのも、意図的に誰かが作った手作りの成果なんだな」と感じてしまったのである。

 

・・・そんなことを考えているのも、

いままさに舞浜を通る武蔵野線のなかで、天女たちに囲まれて電車に揺られているからにほかならない。

天女たちは私の頭上でげっそりしながら会話している。

屈伸したい、と嘆く天女。

バッグの紐が切れそうと 嘆く天女。

天女たちも、夢の国で行列に一日中並んで疲れたみたい。

可憐な外見をしている割に、口調や話がパンチがあるのね。

それが結構ツボだった。

 

まあ多様性の時代、天女も様々。皆、自由にオシャレを楽しんでいただきたい。

そのうち私も天女の一人になってるかも知れないし。そんな間に天女ブームはおわってるかもしれないけど、そしたらひとり天女を謳歌します。

 

一日、夢の国でのおつとめ、おつかれさまでした。

バッグの紐が切れる前に、お家につけるといいね。

 

 

優しい、を感じることと、関係性の深さ

最近、関わる人が今までよりもすこし増えて思うこと。

このひと、やさしいなって結構思う瞬間が多い。

たぶんいい子たちに囲まれてるんだと思う。あとは、深く関わる度合いが増えたこと。

 

知るほどそのひとの良さがわかってくるのは結構あると思っている。

 

ここ2〜3年くらいでラジオを聞くようになったのだけど、テレビと違って結構みんな好き勝手喋りたいことを、どーでもいい話もたくさん喋ってる。人柄が出るな、本当にラジオって、って思う。

 

だからその人がどんなひとなのかっていうのが結構わかる。俳優さんとか歌手とか、芸人さんも。ひととなりがわかる。

 

だから個人的には、自分がラジオで好きになる人って、結構ずっと好きでいられる気がしている。

 

それとちょっと似てるかな。

一緒に過ごす時間が長くて相手のことを深めに知るから、相手の優しいところとか素敵なところがわかる。みたいな?

 

だからなんだ、て話なんだけど。

自分的には、そう思える人がたくさんいることは自分にとって素敵なことだし、以前よりもそうやって深めに関われる人が増えたってことなのかな、とも思う。

こうやってできた、居心地のいい人、居心地のいい場所を大事にしたいな。

 

そして自分も、皆にそう思ってるってことをちゃんと伝えられたらいいし、

皆にとってもそういう存在になれたらいいなあ。